物語の始まりは1998年。

一枚のFAXがニューヨークから私の元に届きました。
送り主は、当時ニューヨークを拠点に活動をしていたアーティストの黒田征太郎さん。
近々、富山に行くから、なにかおもしろいコトを一緒にやらないかというお誘いでした。
その頃、建築家の彦根明さん+アンドレアさんと「新しい日本民家プロジェクト」を完成したばかりで、
その場所で黒田征太郎さん・陶芸家の黒田泰蔵さん・地元の木工家柿谷誠さんの三人展を開催しました。
一週間の開催でしたが1000人を超える来場者で、私の故郷である福沢は大いに賑わったのです。

これを機に、町役場の職員の方が訪ねてきました。
そして真剣なまなざしで「アートやデザインの力で街を元気にできないだろうか?」と語られ、
町役場の古ぼけたガラスケースを「ふるさとギャラリー」と名付けて、
デザインやアートの発信拠点をつくることになりました。
予算も時間も限られた中で、ガラスケースを磨き直し、ここでの活動が始まりました。
最初の展示は黒田泰蔵さん。
記念すべき「ふるさとギャラリー」のスタートにはご本人が、
わざわざ静岡から駆けつけてくれました。
そして二回目は黒田泰蔵さんからご紹介頂いた家具デザイナーの小泉誠さん。

 

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この出会いを元に行政側と努力を重ね、
福沢小学校での小泉誠さんのワークショップを開催して、
小さいながらも一歩前に進めました。

 

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さらに、私たちは一歩前進します。
それは、大山町役場内に新設した「ふるさとギャラリー+記載台」です。
デザインは小泉誠さん、製作は地元の家具メーカーであるKAKI工房の柿谷正さん。
予算の範囲でより良い環境を作る為に、塗装もサイン取り付けも
全てセルフビルドで行いましたが、
完成した時の喜びは何事にも代え難いものでした。

 

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そして忘れもしない2000年。

大山町役場福沢支所の立て替えの話が持ち上がり、
計画地が自宅と隣接していた私は設計案選出コンペによる建設を進言しました。
大山町始まって以来のコンペ開催には困難を極めましたが、関係者の尽力により実現しました。
私は、アメリカ渡航中に出逢った建築家の広谷純弘さん(アーキヴィジョン)に
コンペへの参加を呼びかけ、見事にコンペを勝ち取りました。

建築設計の広谷純弘さんの他に、サインデザインは山口信博さん、
家具デザインは小泉誠さん、そして、KAKI工房や富山ガラス工房の協力を得て、
異彩を放つ「福沢地区コミニティセンター」が完成したのです。
稼働率は前施設の15倍を記録し、関係者は皆大きな手応えを掴みました。

 

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行政と民間が手を結んだ大きな前進は、
その後の「木と出会えるまちづくり」プロジェクトへと繋がって行きます。
「木と出会えるまちづくり」は建築の他にも、バス停、ベンチ、案内板等の
施設を町中に配置するハード事業と、施設を活用するソフト事業から成ります。
活動としては福沢地区コミニティセンター建設に係ったデザイナー達が一年に一度ここに戻り、
地元の人たちと交流しながら、ハードとソフトを両輪のように動かせ前進させます。
建物も街も形づくりだけではなく、
そこに関わる活動をすることで、より磨かれて行くことを考えたのです。

 

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さらなる前進は、「大山木工家具コンペティション2002」の開催です。
参加校は高岡短期大学(後に富山大学)と職芸学院の合同家具展でした。

 

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ここで、力強い仲間と出会います。
この活動の最初のきっかけを与えてくれた黒田征太郎さんと二人で
デザインティーム「K2」を設立し、47年間の長きに渡り活動を共にしてきた長友啓典さんです。
お二人は本当に長い間デザイン界の第一線で活躍されています。
長友さんの参加によって、リビングアートは「新しい目」を得ることができました。

 

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その後、2004年からはLiving Art in OHYAMAに姿を変え、
その主軸となるコンテンツとして「木でできた冒険道具コンペティション」が生まれました。
このコンペは、小学生からデザインを募集し、
そのデザインを元に大学生が独自の発想を加えて現物にするという、
極めてユニークなものです。

 

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私たちが描いた「夢」は、関わった大学生達がこの事業を礎に社会で羽ばたく事と、
デザイン画を描てくれた子供達が、デザインやアートの必要性を身に染みて感じる事で、
クリエーションを活用して社会で活躍してくれる事です。
そしていつか私たちの志を引き継いでくれることが願いでもあります。

冒険道具ギャラリー

 

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市町村合併により、大山町は無くなり、富山市となった今も
LIVING ART in OHYAMAは継続されています。
参加した大学生の中には、富山に住居を構えこの地域で活動を行う東京理科大出身者や、
富山大学の学生同士が結婚をして東京でデザイン活動を始めたりと、
ここ数年でいくつかの成果が出ています。
そして、地元の子供が美大生となり、
参加デザイナーの事務所に手伝いに行くようなことも起こり始めています。

 

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この物語が始まってから良いモノ・コトづくりをしたい気持ちと
限られたコストの中で物事を前に進める為に何が必要なのかを学ばせてもらいました。
そんな私たちがいつも大切にしているのは「創意工夫」です。
この気持ちさえあれば、大体のことは克服できるのです。それこそが「クリエイティブ」。
イベントで使った材料を街の様々な施設に再利用させる仕組みも考えました。
傷んだコミニティセンターの補修は
参加学生と地元住民との恊働でメンテナンスを行っています。
地元のお母さん達の炊き出しを頬張り、ペンキを塗る風景は、
季節の風物詩にまでなっています。

継続こそが未来を創る

これが私を訪ねてきてくれた行政マンの
「アートやデザインの力で街を元気にできないだろうか」という言葉に対する
答えだと思っています。

 

LIVING ART in OHYAMA 総合プロデューサー 貫場 幸英

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